北の国から

お届けする雑記

未来のことはわからない

お題「私の未来予想図」

見た瞬間「うっ」と見ないふりをしたかった。

ならばそうすれば良いだけなのだが。

こういう具体的なことを考えるのはなぜか、とても苦手だ。

高校1年生の時、家庭科の授業で自分の未来の年表を作ろうという授業があった。

先生が面白いと感じた4人くらいが前で発表させられていた。

他人の発表を聞くのは和気あいあいとして面白かったのだが、彼等彼女等と比べずともどうも自分の年表は上手く作れた気もしなかったし、面白みの欠片も無いと思った。

 

小さい頃から将来の夢というものを言わされるのが嫌いだった。

よく学校で発表させられますよね。

いかにも野球選手とかメダリストになるとか大仰なことを言わなければ白けそうな雰囲気を大人たちは勝手に作り出す。

ああそうだ。それが嫌だったんだ。

何かにならなくても平和に暮らせるのならそれが一番ではないかと思っていたから、嘘をついて大げさなことを言わないといけないのかもと思っていたから嫌だったんだ。

「わたしの夢は平和に暮らすことです」とか言っても良かったとは思うけど、なんだこいつってなってたと思う。

そんな幼少期を越えて、感性がくすんだJKに成り果てた当時の私は面白みのない未来年表を作り上げてしまった訳ですが、今考えると現在23歳のわたしも本当にやりたい事は変わらないんだなぁと思いました。

 

小学生の頃から自営業的な仕事に憧れがあって、でも何ができるのかどんな仕事があるのかわからなくて考えるのをやめた当時。

今でも憧れがある。今は昔にない仕事も出てきて、それがわかって、もしかしたら自分でもできるんじゃないかと思ったりする。いや、したい。

 

今までの人生でどうしてこの道を選ばなかったのだろう、とか

もっと調べておけばと思うことはいくらでもある。

もし叶えたい夢があるなら具体的に年表を作ったりしたほうがいいんだろうなぁとは思いますが空白も大切にしたいなという気持ちもあったり。

未来のことはわからないし、予測不可能なことだって起こるかもしれない。

 

どんなことがあっても自分次第で物事の観方は変えられると思っているので、想像の斜め上を行く苦しいことがあっても自分は大丈夫な気がする。

(というか自分の未来を想像するときにネガティブなことを考える人ってなかなかいないんだろうな。逆に大事な要素だとも思えるんだけど。)

どうしても譲れない夢を1つ2つ叶えられたら

あとは平和に、自分らしく、楽しく生きていけたらいいんじゃないかなと思います。

 

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