北の国から

お届けする雑記

きっと常識はみんな無い。だからあまり気にする必要も無い。

こんにちは。

 

 ふと思ったことなんですけど

なんか稀に、怒る時に「あなたには常識がない!!」

みたいな怒り方をする人っているよな〜って。

 

明鏡国語辞典によると

一般の社会人として、だれもが共通してもっている知識や分別

とあります。

ですが常識という言葉を使うときは社会人である・なしは一旦関係なく

「みんなが当たり前だと思っていること」

みたいな感じでよく使われますよね。

 

子どもでも「あいつには常識がねぇ」みたいに相手を罵倒していた人もいたようないなかったような・・・。

 

私自身が怒られた時を振り返って、「常識がない」と怒られた事もあったなぁと思うんですが思い返してみれば、その相手は私からしてみればその人こそがまるで常識がない人であったりした気がします。

こっちこそてめぇの非常識さにどれだけ悩まされて我慢してきたかと。

 

 こんなに毀誉褒貶が激しいのは世界でもクリスティアーノ・ロナウドイブラヒモビッチと私くらいのものじゃないかと思うほど、

褒められる事も、怒られる事もなぜか人一倍多く経験してきたという自負(?)があるので言わせていただきたい事が1つ

それは・・・

 

人からの評価は、ほぼ全部違う

 

ということ。

そりゃあみんなから「あなたは素晴らしい!!パーフェクトよ!!」とかいう評価をもらえれば1番いいのかもしれませんが、

評価を下す方も人間なんで同じ「素晴らしい」という評価にも「めっちゃいい」という人もいれば「まぁ、いいんでないの」という程度の人も間違いなくいるんですよ。

 

なんか話が逸れましたが何が言いたいかというと、世間の常識というものに合わせて自分の意志を変える必要は全くないのではないかということです。

 

かけ算わかんない、とか敬語使えない、みたいな常識がないっていうのはさすがに困るなぁと思いますし勉強し直した方がいいのではないかみたいな部門もありますけど、

 

よく考えてみたら外国語は敬語表現とかないし、(丁寧な言い方とかはあるけど日本語ほど丁寧語やら謙譲語やら尊敬語とかめんどくさくない)ヨーロッパ圏の方はかけ算すら苦手な人が多いといいますね。(言語的に日本語でいう、いんいちがいちみたいに呪文のように覚えるのが難しいらしい)

 

国がかわれば常識もかわる・・・!!

 

普段その程度の常識を気にして生きているということですね。

 

だからもし、あなたが誰かに「お前には常識がない」とか言われたって相手がむしろ常識がない人かもしれないので必要以上に気にする必要はないと思うし、

 

あなたが進路で悩んだ時、「フゥーーーー!!最高にクールじゃん。頑張れ!!」って言ってくれる人がいる一方で「そんなの普通じゃない。やめておいた方がいいよ」って新たな旅立ちを嫉妬心から引き止めようとしてくる人もいるかもしれないけれど、多様性が重視され始めたこの時代に進路を常識で計るなんてできないと思うし

 

その他諸々、常識を気にして怖じ気付く必要はないんじゃない?って思います。

 

もし仮に本当に「常識がない」という言葉を用いて非難できる相手がいるとすれば、それは他の人から見た時に明らかに、自分がされて嫌であろうことを他人に行なっている人間なのではないかなー。

 

それは改めなければならないことです。

・・・が、それなら別の言葉で代替可能ですな。常識という言葉を引っ張ってくる必要はないですよね。

 

 そもそも価値観や考え方がみんな違うという前提を無視した場合に使われる「常識」という言葉はとても鋭利で不便な面もあるなぁと考えたのでした。